青森県にキリストとその弟・イスキリの墓があるらしいぞ!
そんでもってピラミッドもあるらしいぞ!
※ピラミッドです↑
ということで今回から2回に渡って青森県の新郷村の戸来(へらい)について【つくねの行ってみたいするめ処】の記事を書いていこうと思います。
一つ言えるのは。
新郷村。熱いです。
今回はキリストのお墓の話です。
まず日本の青森県にキリストの墓があるよーって聞いたら、ほぼ全員が眉唾だと思うわけです。なんなら【そういうもの】として見に行ってやろうくらいに猛者は思うわけです。
でもね……。
本当にそれは嘘っぱちなのかい…?ってことですよ。
まず冒頭に書いた通り青森県の新郷村の戸来にはキリストの墓なる場所があります。
(ここが青森県新郷村です↓)
で、誰がなんの根拠でいつ決めてん!となるわけです。
えーまず。
竹内巨麿氏が昭和10年(1935年)に独自に調査してキリストの墓と断定しました。
で、この竹内巨麿氏は『竹内文書』という古文書に書いてあることをフムフムナルホドしながらこのキリストの墓を発見しました。
いやそもそも『竹内文書』って何?
ウン。
この『竹内文書』がとんでもないシロモノで。
まず、竹内文書は竹内巨麿の家に代々伝わってきた膨大な量の古文書です。
あ……自分の家に代々伝わっていたやつなのねってなるのは一旦置いとこう。
で、その竹内文書の中身。
3000億年前の【無】から【宇宙想像】【地球想像】、【現代】に至るまでの歴史が記載され、その文字は漢字がまだ無いので『神代(かみよ)文字』で書かれている。
そして竹内文書は竹内巨麿が昭和前期に開いた新興宗教【皇祖皇太新宮天津教】の聖典である。
以下は竹内文書の内容の抜粋↓
◆その超古代文明の中にはUFO等も含む。
◆キリスト、釈迦、モーセ、マホメット、孔子…その他いろんな聖人が日本に来て天皇に仕えた。
◆モーセの墓は石川県の宝達志水町にある
※ムー大陸の詳しい話は下のムーバレーの時にしています↓

などなど…現代の私達が学習してきた価値観からすると中々どうして…。
で。今回のテーマであるキリストの話も竹内文書に載っています。
キリストの21歳からの12年間は謎の空白期間とされていてるんですが、竹内文書によるとその空白期間にキリストは日本に来てて様々な学問を学んでいたそう。
で、33歳の時にユダヤへ一時帰国したもののその教えが受け入れられないどころか不興を買い、逆に捕らえられ十字架に磔に。その後、弟のイスキリを身代わりに再度日本へ戻ってきたそう。
その後は、日本の地元の女性と結婚し【十来太郎大天空】と名乗り106歳という長寿を青森県新郷村の戸来で全うした。その子孫は沢口姓を名乗って現在も当地に住んでいるらしい。
※ゴルゴダの丘で処刑されたキリストは影武者なんだそうです。
まだまだいっぱいあって書ききれないけど、なんとなく雰囲気は伝わったかと思います。ついてこいよ。
で、その青森県新郷村戸来にあるキリストのお墓がこちら。
うん。
なんだかよくわからない。
というより私のような素人ではわかりようがない。
ただとてもきれいにされているので、地元の方から大切にされているのは伝わる。
で、その竹内巨麿氏による発表前は戸来村にキリストに関する伝説は全くなくて、この盛り土はなんとなくどこぞのお偉いさんのお墓だと思われていたそう。
だから新郷村的には、竹内巨麿氏によっていきなりのキリストブーム?説?が湧いてきたことになります。
で、ここまで読んでくれた方は
(このお墓…絶対……おまっ…!)
と思っているのではないか。
でもここからが面白いところ。
このキリストのお墓。
100%偽物と断定できないような、信憑性あるかも?なことがここ戸来にはちょいちょいあったりして。
サクサクっと紹介していきますね。
まず、このキリストの子孫とされる戸来村や十来塚の所有者である沢口家。家紋がなんと六芒星。タビデの星と同じである。
そして、この地区には赤ん坊が初めて外に出る時に額に墨で十字架を描くという国内では大変珍しい風習があること。
戸来村の男性の作業着「ハラデ」はユダヤ(現パレスチナ)の作業着「ハラート」にそっくりであること(名前も似てる)。
この戸来(へらい)の土地の名がへぶらいに似ている。
この地方の方言では父親を「あだ」「あやー」、母親を「えば」「あっぱー」と呼ぶ。アダムとイブ?
この地に伝わる盆踊りの歌詞が「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」だそうなのだが、それをヘブライ語に訳すと「汝の聖名を讃えん、汝は賊を討伐したまい、汝の聖名を讃えん」というものらしい。
盆踊りの様子(YouTube)
もし、竹内文書がすべて偽物、贋書であるとするなら…。
これら日本の戸来とユダヤを繋ぐ数々のミステリーは一体。
沢口家が戸来村を開拓した時にユダヤの文化を根付かせた?
日本が生きるのに必死な時代にユダヤの文化に精通し、またそれを現地に落とし込んだ?それともすべて偶然?
ふむぅ…。
でも。
今回の記事はそもそも戸来にあるキリストのお墓や竹内文書の真贋を言うつもりはなくて。
今なおこの地にあるキリストの墓とイスキリの墓は地元の方から大切にされていて、それこそ毎年6月の第一日曜日に半世紀以上続くキリストの慰霊祭が行われていて。
着物を着て「ナニャドヤラー」の歌を歌いながら盆踊り。
ちなみにこの真ん中の石碑は、2004年に新郷村にキリストと縁が深いイスラエルのエルサレム市から寄贈されたものだそうです。
つまりはそういうことです。
ウン。
そういうことでいいんじゃないかな。と思うわけです。
伝わる?ウンッ
新郷村激アツですわ。
次回はこのキリストのお墓から6km離れたピラミッドについて。
もちろん竹内文書関わってます↓コチラデス

∞つくね∞